街中インタビューから見る私たちの防災感覚

このコラムを開いてくださり、誠にありがとうございます。今回は「防災×インタビュー」がテーマです。

私は防災ドキュメンタリー映画製作の一環で、300人ほどの街中インタビューを撮影してきました。カメラが回っていない時間も考えると、全国各地で防災講演をする仕事柄、47都道府県で2~3万人の方にどんな防災感覚を持っているか伺ってきたかと思います。正直なところ、街中インタビューに関しては、10人に1人くらいは「頼りになるなあ」と感心させられましたが、その一方で、半数以上の人には「少し心配だなあ」と心もとない気持ちになりました。

では、具体的にどんなことを言われる機会が多いのか。この記事ではとりわけ多くの方が口にする言葉を3つご紹介することで、私たちの防災感覚について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。自分自身が共感するものがあるか。友人や家族がよく主張するものがあるか。ぜひチェックしてみてください。

街中インタビューから見る私たちの防災感覚

街中キーワード①「あきらめる」

こちらはご年配の方にインタビューした際に多く聞く言葉です。「自分は十分生きたから、災害が起きたら起きたであきらめるよ」というような発言をされる方が非常に多く、その心情の中には「避難で迷惑をかけたくない」というものも含まれています。この記事を読んでいる方の中にも共感する人や「この前うちの家族も言っていた!」という人も多いかもしれません。

あきらめるのはその人の自由ではあります。しかし、あきらめた先まで想像してほしいと思います。あきらめる人がいると、その地域で何が起きるのか。「自分はあきらめるから助けに来るな」とどんなに事前に言ったところで、家族はきっと見捨てることはできません。近所の人や消防団が助けに行く場合もあります。周りの人間が巻き込まれるのです。

実際に2011年に発災した東日本大震災でも、「海際の家から避難しないご年配の方が多くいて、助けに行った消防団がそのまま戻って来なかった」という話を何度も聞く機会がありました。そういった話を聞く度にいつも思います。

「周りの命を巻き込んでまで、あきらめたかったの?」

自分があきらめることで周りも巻き込んでしまうというところまで想像できていなかっただけだと信じたいですが、災害の現場では事実、よく起きることなのです。「防災は想像力が大事」とは常々言われていますが、自分の防災意識が、周りの人間にどんな影響を及ぼすか、一度想像してみることで、また違った視点が見えてくるかもしれません。

ちなみにですが、私は依頼を頂いて、よく小中高で防災講演をすることがあります。その際にもこの一連の話をして、「もし家族があきらめるような発言をしていたら、ぼくも巻き込むかもよ? そこまで想像できてる? 一緒に逃げよう、って言ってね」と子どもたちに伝えるようにしています。それこそ「自分の孫を巻き込んでまであきらめたい」なんていうおじいちゃんおばあちゃんは存在しないはずです。あきらめない人が一人でも増えることを強く願います。

防災ドキュメンタリー映画『いつか君の花明かりには』

画像参照:防災ドキュメンタリー映画『いつか君の花明かりには』より

街中キーワード②「地震慣れ」

「地震慣れ」「災害慣れ」――地域にもよりますが、よく地震が起きる場所でインタビューしている際に出てくる言葉です。小さな揺れを経験する度に、「逃げなくても平気じゃん」「結局大きい地震なんて起きないじゃん」といったように、防災への気持ちが薄れていく人が多くいるようです。

「南海トラフがどうのとか言われてるけど結局来ないし、意識が低くなるのはしょうがないかな」

上記の言葉は、私が製作した防災ドキュメンタリー映画『いつか君の花明かりには』に出てくる街中インタビューの一つです。このように、慣れると同時に痺れを切らしてしまう人も非常に多くいます。しかし、災害に対してずっと気持ちを保ち続けることは、誰にとっても困難なことです。災害を24時間、常に待ち構える必要はありません。こちらに関しては、痺れを切らす、切らさないではなく、自分にできる限りの備えをした上で、あとは普段通りの生活を送れば良いだけかなと思います。

また、小さな地震に慣れる人がいる一方で、大きな揺れを経験した人の中には、偏った考え方を持つ人もいます。例えば、これは熊本で防災士をする仲間に聞いた話ですが、2016年に起きた熊本地震の際に、震源地から少し外れたある地域では、強烈な揺れがあったものの、各種インフラが止まることはありませんでした。その後、その地域では「あの揺れで電気が止まらなかったんだからこの地域は安全」という考えを持つ人が増えてしまったそうです。今度はその地域の真下で熊本地震より大きなものが起きる可能性だってあるにも関わらずです。

このように、一度大きな災害を経験した人も、少しズレた形で達観してしまって、人よりも防災をしなくなる場合、いざという時に人よりも避難が遅れてしまう場合もあるので、注意が必要です。

防災ドキュメンタリー映画『いつか君の花明かりには』

画像参照:防災ドキュメンタリー映画『いつか君の花明かりには』より

街中キーワード③「自分の〇〇は大丈夫だけど」

最後のキーワードはこちらです。私が日本中を回って街中インタビューをしていて、頻繁に聞く言葉の第一位です。

「自分の町は安全だけど、防災って大切ですよね」

「自分の家族は大丈夫だけど、東北は大変ですよね」

「自分の家は安心だけど、一応は防災してます」

あくまで一例ですが、このように自分は大丈夫という前提の上で防災を語る人が、日本中に非常に多い印象があります。先月の記事で紹介した災害心理で言うところの「正常性バイアス」というものに当てはまるかと思います。

正常性バイアスは「正常化の偏見」などとも言われており、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人間の特性の一つです。

個人的な話ではありますが、私は防災講演で訪れた町で「防災の重要性を訴える」→「自分の町は大丈夫だとたくさん言い返される」→「数年後その町が大災害に遭う」という流れを何度も経験してきました。その度に「自分の町は大丈夫なんてもう誰も言わないで」と無力感を募らせています。

日本に生きている以上、災害が一切起きる可能性のない町は存在しません。根拠もなく「大丈夫!」と言うのではなく、自分にできる備えをした上で「大丈夫!」という人が増えてほしいところです。

災害が一切起きる可能性のない町は存在しません

「防災意識が低い=悪者」というわけではない

私が製作した防災ドキュメンタリー映画『いつか君の花明かりには』では、街中インタビューの人々が「防災意識の低い人たちの象徴」のようになっている節があります。しかし、彼らを悪者にしたかったかというとそうではありません。

例えば、ある女性が「普通にお金を防災よりか、自分の好きなことにかけていきたいし」ということを話しているシーンがあります。実はそのインタビュー当時、私は思わず「間違いない」と共感してしまいました。

防災を優先しませんと話す彼女に「ダメだよ!」と言えなかった私は、防災の仕事をしている人間として失格だったかもしれません。けれど、誰だって好きなものにまずお金をかけるし、防災グッズよりも今日のご飯を美味しくする方が先だし、「彼女が言っていたことは間違いではないんだよなぁ」と今でも思う自分がいます。

上記で紹介した3つの防災感覚についても、気持ちは分かります。気持ちは分かるんです。ただ、いつか起きるかもしれない大災害に備えて、防災しておくことも非常に大切なことです。こちらも「間違いない」と思います。

私は街中インタビューの取材を通して、「どっちの言い分が正しいとか、こっちが悪者だとか、そういうことではないんだな」と思うようになりました。防災をしない理由も分かります。防災をする理由も分かります。どちらも分かる上で、私が、皆さんが「どちらになろうとするか」でしかないんだと思う今日この頃です。

今回は以上になります。この文章を読んだ皆さんが、改めて自分や周りの人の防災感覚について考える機会になれば嬉しいです。


著者プロフィール

小川光一(おがわこういち)

小川光一(おがわこういち)
1987年東京生まれ。作家、映画監督。

国内外を問わず、防災教育や国際支援を中心に活動。日本唯一の「映画を作ることができる防災専門家」として、全47都道府県で講演実績がある。2016年に執筆した防災対策本『いつ大災害が起きても家族で生き延びる』は日本・韓国の二カ国にて出版されている。日本防災士機構認定防災士/認定NPO法人 桜ライン311理事ほか。現在、著書「太陽のパトロール~親子で一緒に考える防災児童文学~」が発売中。