能登半島豪雨のJackeryの支援と現地レポート
2024年9月、石川県の奥能登エリアに豪雨による河川の氾濫などが発生。1月の地震で被害受け、復興に向かっていたエリアに甚大な被害をもたらしました。その状況を受け、1月のJackeryの支援活動でつながりのできた災害支援団体や地元の方々から、再び支援依頼があり、急遽、ポータブル電源とソーラーパネルの支援を実施しました。さらに今回は災害被害を受けた奥能登の輪島市、珠洲市、能登町、七尾市に2024年10月5、6日の2日間にかけて実際に足を運び、現地でポータブル電源がどのように使われたのか、お話を伺ったのでその様子をレポートします
河川の氾濫で再び停電地区に
河川の氾濫で再び停電地区に
最初に訪れたのは輪島市の深見地区でした。車のナビに従って道を進むと、舗装された道が急に無くなり、土が泥状になった荒れた道を50mほど進みます。その先に多くの車が止まっていることから、それ以上進めないことに気づき、車を降りました。
目の前に何人かのボランティアが見えたので声をかけると、最初に話を聞く予定だった「RQ能登」の現地コーディネーターをしている醍醐陸史(だいごあつし)氏でした。
「この集落は来てもらった通り、道も悪く、重機が入れない、現時点では報道もされていないエリアです。
大雨により土砂崩れが起きて、同時に河川が氾濫したことで集落に木が溢れ、住宅には泥が入り込みました。中には土砂崩れで、家に大木が突っ込んできた人もいます。地震の後に、せっかく直した電柱も河川の氾濫で倒れてしまって、この集落はまた停電してしまいました。
支援していただいたジャクリは、家の泥を取るために高圧洗浄機と家具の乾燥用に扇風機で使います。現在は家の中の泥を手作業で出す活動を続けていますが、次のステップで高圧洗浄機を使う予定です。雪が降るまでに全部を終わらせなければいけないため、時間との勝負です。ジャクリで扇風機を使って少しでも乾燥を早められればと思っています」と語りました。
災害が二重に起きるということ
災害が二重に起きるということ
次に話を伺ったのは同じ深見地区で支援活動を行っていた災害NGO結の前原土武(まえはらとむ)さんです。
「この深見地区は震災の時に孤立集落になった地域で、行政の書類上、ここの住民は全員仮設住宅に入っているか、金沢などに避難していることになっています。でも、実際にはここの海や山が好きで、週末とかに戻ってきている方も多い。実質、二拠点生活になっているのに、行政の書類上は誰もいないことになっているから、停電の復旧活動も後回しだし、行方不明者も正確な数字が分からない状態です。ただの水害なら家にいる、いないで判断すればいいから、こんなことは起きない。地震が起きた後に水害があったから、こんな状態になっている。それが二重で被災するということです。そういうことが深見地区だけではなく、被災地全体で起きている。
今回支援してもらったポータブル電源は、小型タイプで持ち運びがしやすいので、1日ごとに交換するためにお弁当と一緒に被災者の方に届けにいってます。訪問することで、生存確認もできるし、困っていることを聞くこともできるから助かってます。
ポータブル電源は、大容量モデルなら、3トントラックの後ろにポンプを積んでお風呂を作ることもできるし、昼間はガソリンの発電機を使って、夜は音が静かなポータブル電源に切り替えるとか、特性に合わせて使い分けてます。被災地に電気があれば、できる幅は一気に広がります。そのことをもっと知って欲しいですね」
立ち止まったら涙が出てくるから前に進むしかない
立ち止まったら涙が出てくるから前に進むしかない
翌日に話を伺ったのは、能登町在住のグラフィックデザイナー池崎万優(いけざきまゆ)さん。1月に能登町で被災し、約3ヵ月間、町役場の避難所で過ごしていたという。
「あの時は町中が停電で真っ暗で、いつまでこれが続くんだろうと思ってました。自衛隊の車がたくさん来て。じっとしていたら涙が出てくる。このままじゃいけないと、毎日動き回っていて、気づいたら3ヵ月経ってました。ジャクリさんの電源もたくさん支援してもらったので、それを色々な避難所に配置させてもらいました」
そんな日々もようやく落ち着き、復興に向けて動いていた時に、再び豪雨被害が訪れました。
「大きな音でサイレンがなって、自衛隊の車がたくさん来て、ありがたいけど、ああ、またあの日々が戻ってきたのかって。子供たちもサイレン聞いたら泣き出して。みんな心に傷を負っているんだと思います。1日目はショックで心が折れていたけど、2日目から何かできることを、と動き出しました。地震の時は家が壊れちゃったから諦めがつくけど、今回は泥が入ってきているから、キレイにすればまた住める、という希望がある。でも、実際には川の水だけじゃなくて、汚水も入ってきているから、家の中がトイレの中みたいになった状態。臭いが強くて、泥もすごい。
でも、家が壊れて重機が必要なわけじゃなくて、とにかく家具をきれいにして、家の泥を出す作業をする。女性でもできるから、毎日続けてました。住民のおばあちゃんは1日目はボーっと天井を見ていて、2日目も変わらない。でも、ずっと掃除を続けてたら『あー、ここはもうキレイだから裸足でも歩けるね』って話して、ようやく笑ってくれました。
能登の家は、もうずっと何代も続くような古いお家が多い。それが自分の代で終わるのか、という絶望感があると思う。あとは、水害で畑や田んぼが被害を受けて、収入源も無くなってしまった。そういうショックがあったんだと思う。同じ災害だけど、地震と水害はぜんぜん違う。水害はとにかく汚れを取る、泥を出す。誰でもできるのに、人手が足りない。
今回支援してもらった小型のポータブル電源は、いつも車に積んでいます。停電地区に行った時に自分のスマホの充電もできるし、困っている人がいたら充電させてあげられる。本当に助かってます。
次に向かったのは支援団体LOVE FOR NIPPONが活動を行っている輪島市の町野地区。実際にそのエリアに足を運んでみると、深見地区とはまた異なる大規模な河川の氾濫がありました。川は木で埋まり、周辺の家もかなり被害を受けています。
ボランティアや子供たちが集まる場所づくりを
ボランティアや子供たちが集まる場所づくりを
LOVE FOR NIPPONは能登町でベースとなる拠点を作っているので、翌日、そちらに移動し、同代表を務めるCANDLE JUNE氏に話を伺いました。
「町野地区に行きましたか?あそこは川沿いを中心に大きな被害があって、最も大変なエリアの一つ。あのエリアで泥出しや片付けを行っています。
もう一つの活動として、この能登町のベースをみんなが交流できる場所にしようと取り組んでいます。例えば、能登にボランティアに来る人もただ活動をして帰るだけじゃなくて、このベースでボランティア同士が交流をすることで、団体の連携が少しでも進めばと思っています。そのために建物の中にはトークショーやライブができるスペースも用意しました。
このベースでは今日もイベントを行っています。被災地のみなさんには、同じ被災者の方の言葉や経験がすごく響くので、今回、能登で行うイベントに合わせて2019年に豪雨災害が発生した長野に行き、河川決壊によって水害被害が大変だったりんご農家組合の「ポンド童」に行き、りんごの収穫をさせてもらいました。被災から立ち直った人の想いを少しでも繋げていければと思います。
その他に、子供向けの遊べるスペースも新たに設置しました。復興は進んでいるけど、子供たちの遊ぶ場所が意外と少ないと感じたので、能登の子供たちが少しでも笑顔になる場所が作れればと思います」
こうして2日間にわたって能登で色々な方にお会いしてきました。
今年の3月に足を運んだ時と比べて、デコボコでマンホールが飛び出していた奥能登エリアの道路も主要なところはだいぶ良くなり、崩れた家の数も減っていることから確実に復興は進んでいたことを実感しました。
今回現地に行くまでは「2回も災害があるなんて大変だ」と単純に考えていましたが、地震で地盤が脆くなっていたから、大雨被害も拡大したのであって、ただ2回災害があったのではなく、二重に災害が起きている。その恐ろしさを実感しました。
「今回の水害でみんな1回は心が折れました」(万優さん)と語る状況の中、深見地区で高齢の老夫婦が二人で声を掛け合って息を合わせて、何度も家の中の泥を外に出している光景が強く印象に残りました。それはこの地にずっと住んできた人の強さを感じた瞬間だったのかもしれません。
また「1月の支援でジャクリさんから、たくさん電源を送ってもらっており、それが公民館や避難所にあったおかげで、避難所が開設された時に、すぐ活用できて、助かりました」という言葉も活動を継続する大切さと「備え」の重要性を改めて感じる言葉でした。
Jackeryは、災害時の頼れる電力として、また、キャンプ、車中泊などの屋外レジャーの相棒として、もしもの時も楽しい時間もお役に立てるよう、これからも防災に関する情報発信や災害支援を続けてまいります。
復興イベント「LOVE FOR NOTO」が11月2日に能登町で開催!
11月2日、一般社団法人LOVE FOR NIPPONの主催の能登復興イベントが開催されます。能登に行きたいけど、行くきっかけを探していた人。ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
イベントの詳細はこちら。
コメント